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旅の思い出 ウエストジャワ

2010 年 12 月 4 日 2,734 views One Comment

『言葉がツナグモノ』

旅先で初めての田舎の小さな村を訪れるとなぜかその日のうちに自分の知らないところで『新参者の到着』が村中で伝言されていて、翌朝には村の若者たちはすでに俺の存在を知っていたりする。

毎日変わり映えのない空気の中に思いっきりよそ者である外国人がしかもサーフボードを持って村へ入れば、そりゃ目立つ訳である。

翌朝伝言によりみなに知られている最初の情報は「国籍、メンバー、性別、ステイ先部屋番号」位のものであるが、

その翌日には「年齢、結婚している、していない、日本の出身地、名前、仕事、滞在期間、、」位までが続けて皆に伝言され、

そのまた翌日には「インドネシアは何回目だ、酒をよく飲む、本を読んでいた、飯を食っていた、昼寝していた、新しいビーサンを履いていた、左利きだ、、、」ついにはどうでもいいことまで噂になっている事になる。

新参者はそうやって知られていくことによって段々と距離を縮めていくのだが、何より仲良くなる一番手っ取り早い方法としては現地の言葉を覚えるということに行き着く。

インドネシアではインドネシア語(学校で習う)が公用語ということになっているが、無数にある島々にはそれぞれ独自の言語が存在している。そしてその地方ごとの言語が日常生活に使われているのだ。

例えばバリ島ではバリ語が使われているし(バリ語だけでも5種類あると言われている)、お隣の島ジャワ島に至ってはかなり大きく広いのでジャワ語(これも5種類くらいあるという)、オシン語、マドラー語、スンダ語、、と思いつくだけでなんだか色々あるわけでこの国にある全ての言語を全て理解するなどということは不可能である。
公用語として学校で習うインドネシア語はテレビや新聞で使われていて、どの島でも通じる便利な言葉である。しかし、しかし、ここはわざわざその地域でしか通用しない、マイナーな地元語を、あえて、滞在中にコツコツ覚えていくのである。 先生はもっぱら地元の暇人、ビーチにいる若者たちである。

まずは「ありがとう」から始まって「1,2,3,4、」を覚える。それに加えて少し簡単な動詞、センテンスを覚えていくと2日3日して近所のおばちゃん屋(どこにでもあるヨロズ屋)でタバコくらいの買い物ができるようになっている。

その訪れた村、西ジャワのその地方ではスンダ語という言語が話されていた。おばちゃん屋には当然おばちゃんがいて(だからおばちゃん屋)そこに突然見知らぬ観光客がひとりフラフラ現れていきなりスンダ語で、
「おばちゃん、おはよ、マルボロある?白い方ひとつね。あっ やっぱりふたつ頂戴。いくら?」ってやるもんだから目を丸くしてびっくりしている。座り込んでコーヒー飲んでたおっさんたちも会話を中断して固まっている。
おばちゃんが現地語でたばこ2箱の値段を言うけどそんな大きい単位の数字はまだ分かるはずも無く、しかしそこはすかさず「ふ~ん」と分かったフリをして大きいお札を出せばいい。なにせタバコの値段くらい最初から知っているわけなのだから。。。そして「ありがと。またね。」くらいの初歩の挨拶を現地語で言っては店を立ち去る。一度目はあれこれ質問される前にすばやく退散するのである。 w

『スンダ語を話す日本人??』

そのファーストコンタクトが一週間もすると村で評判になっていて、会ったことのない村の人々も今度は向こうからスンダ語であいさつをしてくれるようになっている。食堂では毎回おまけの一品。メニューにない地元料理が出てくる。「兄ちゃん、これスンダ料理。食べてみな」といった具合である。 あぜ道を歩く姿を見つけては呼び止められマンゴーが振る舞われる。w
波のないときは路地を歩き、おっさんと話し込んだり、地元の若者とジュースを懸けて卓球したり、子供のおやつによばれたり、、、と地元密着型で人気が上がっていく。

「毒蝮三太夫か?俺は!」(古すぎてわかんない人ごめんなさい。w)

そして二週間もすれば村中顔見知りとなっていて外出する度挨拶するだけで忙しい。
しかしなんであれ、人気者になるのは実に気持ちいいもんである。

そんな毎日を送る中、アグースというひとりの若者に出会った。俺にスンダ語をレクチャーしてくれたひとりである。
アグースはサーファーであったが他のやんちゃサーファー達とはつるまずひとりで過ごす事の多い一匹オオカミ的存在であった。
物静かな彼は朝夕にひとりでサーフィンする事が多かった。

ある日の夕暮れ近くビーチに出てみると5fのクローズ寸前の波をひとり滑っているアグースを沖に見かけた。
彼の性格を表わすように派手さはないがシャープなラインで正確に波を切り刻んでいく。その姿を腕を組み険しい顔で見ている50歳くらいの中年の男がいた。突然男は傍にいた俺に向かって話しかけてきた。

「あれは俺の息子なんだ・・・」

「アグースですね。センスのいいサーフィンだ。」

「………あれはサーフィンばかりで困っておる。」

それだけ言い残すと男は海に背中を向け村の方へと歩き出した。それを待っていたかのようにアグースは最後に一番大きなセットを掴むとそのまま岸へと上がって来た。いい波を存分満喫できたのか、はにかむような最高の笑顔を俺に見せた。

「やぁ 、今俺のおやじがいたろ。俺にサーフィンを止めさせたがってるんだ。何もわかっちゃないんだよ、おやじは。」

「いづれ分かってくれる時が来るよ」

アグースとはあれから5年会っていない。サーフィンを続けているだろうか?手紙を書いたこともあったが返事は来なかった。

当時生まれたばかりの娘は5歳になっているはずだ。

バリ島とは違いサーフィンが生業となり難いインドネシアの田舎の村で家族を抱えてサーフィンを続けていくのはそう簡単なことではないのかもしれない。

そんな思いの中、先週ある日本人プロサーファーが西ジャワでの取材帰りにバリ島に暮らす俺のところに立ち寄ってくれた。

「アグースがよろしく言ってましたよ!アグースにはガイドしてもらいました。」というメッセージを持って 。

5年前の束の間の人気者を、今でも覚えていてくれる奴がいた。

そして後日、彼がサーフガイドを生業としているという彼が誰よりも大きな波をテイクオフしている写真を雑誌のひとこまに見つけることができた。

「よかったな、アグース」

そして、 ハートルヌーフン!(「ありがとう」 スンダ語)

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